【公式】THREE COLORS +ONE

INTRODUCTION

函館の話

TERU×TAKUMI×SHURI×PARA

皆さんにとって、函館の魅力とは何ですか?

  • TERU

    最大の魅力は、TERUがいるっていうことですね(笑)。

  • 一同

    (笑)

  • SHURI

    間違いない(笑)。

  • TERU

    最近その話になって、「函館の魅力って簡単に言えば何なの?」と言われたんですよ。その時に本当にスッと「俺がいるってことじゃないですか?」って出たんですよ。「そっか。TERUちゃんがいると来たくなるもんね」と(笑)。函館の友だちも東京の友だちも皆一緒になって楽しめる空間を作るのが僕は得意なので、人との繋がりが簡単にできる場所、というのがすごく魅力ですね。食べ物とか街並みの魅力は皆がもう知っていることだし、そういう街並みを歩きながら、最後は皆で集まってお酒を飲むっていう。同じことを東京でやるのとは全然違うんです。函館スタジオで皆で飲んでいるのが本当に愛おしいし、尊い時間に感じて。そうやって函館で一緒に過ごす時間が最大の魅力なんじゃないかな?と思いますね。

TAKUMIさんにとって函館の魅力とは何ですか?

  • TAKUMI

    僕も、“TERUさんがいること”で間違いない気がします。『GENTEN.HAKODATE』(※TERUが函館の楽しさを発信するYouTubeチャンネル)など、TERUさんと一緒に函館に行かせていただくタイミングがいろいろとあるんですけど、函館の街全体の人たちがTERUさんを迎え入れてくれている、というか。東京だとやっぱり「あ、GLAYのTERUだ!」という感じなんですけど、函館だと「あ、TERUさ~ん」みたいな、いい距離感で。TERUさんも、函館にいる時は“GLAYのTERU”というよりは“小橋照彦。テッコくん”になっている。TAKUROさんとのやり取りも「同級生だなぁ」というのをしみじみ感じますね。

SHURIさんにとってはどうですか?

  • SHURI

    TERUさんがいることもそうなんですけど、自分的には函館はとても住みやすいなと思っていて。私は人の多いところが苦手なんですけど、函館はちょうどいいんです。モノも揃っていてお買い物はできるし食べ物は美味しいし、休みの時は金森とか、五稜郭公園とか、魅力溢れる場所で気分転換できるのがすごくいいところだなって。すごく落ち着きますし、充実した日々を送れています。

PARAさんはいかがですか?

  • PARA

    故郷として見ている函館は、山とか海に囲まれていて大自然がいっぱいあるだけじゃなくて、函館特有の歴史とか、いろいろな文化がたくさん入り交じっている素敵な街だな、と思っていて。そこを歩いていると、東京、関東とはまた違った空気感で、すごくリフレッシュできる感じがします。

TERUさんがいる、という点についてはどうですか?

  • PARA

    TERUさんがいらっしゃるというのも、本当にその通りだと思います。

  • TAKUMI

    言わされてないですか(笑)?

  • TERU

    言わされてる感があるなぁ(笑)。海も近いし山も近いし、本当に不思議な街。端から端までどこ行くにも20分ぐらいで着いちゃう、サイズ感もいいんですよね。

函館という街は、作品にどのような影響を与えていると思われますか?

  • TERU

    目から入る情報ってすごく大切だなと思うんですよ。都内で毎日仕事をして、スタジオとの行き来だけをしている生活だと、潤いやゆとりが生まれないと感じていて。8月に1ヶ月間丸々函館で暮らした時は本当に毎日がキラキラしていて、勝手に心が踊ったし、「ちょっと散歩しよう」とか「外を見よう」という気になったんですよね。作品づくりに関しても、外で見た風景を「あ、これを絵にしてみよう」というのが函館ではすごく多いんです。前回TAKUMIくんと一緒に飛行機で移動している時に、「あ、あの雲いいですね。雲を描きたい」と言ってたしね。そういうきっかけを作ってくれる街だなとは思いますね。あと、海の色が東京とは全然違ってすごく深い青なので。僕が生まれ育った穴澗という場所に皆でよく釣りに行くんですけど、そこでPARAは歌が曲ができたぐらい、すごく刺激のある場所で。その雄大な景色の中で生まれるものが多いなぁとは思いますね。

  • TAKUMI

    東京だと、仕事などいろいろなものに追われているんですけど、函館にいる時は、いい意味でやることが限られているんですよね。だから、ゆったりとした時間を過ごせる、というのはあります。僕は出身が埼玉で、海がないんですよ。なので、海に対しての憧れが今、函館に行くことで回収されている感じがあって。TERUさんのお父さんとお母さんであるジジ、ガガは本当に素敵な方たちで、函館へ行くと僕を息子のように可愛がってくださるので、第二の故郷になっています。函館に行くとお2人に会えることで、心をより落ち着かせてくれる場所になっていて、そのリラックスがたぶん絵にも出ていて。僕が絵を描き始めたのは基本的に、溜まったストレスの転写みたいなところだったんですね。TERUさんが今ご自宅に飾ってくれている赤い作品もそうですが、アクションペイントという作風にもそれは繋がっていて。函館だと「アクションペイントをやりたい」とはあまりならなくて、どちらかというと穏やかな、曲線の絵が増える、というのはあるかもしれないですね。

  • SHURI

    私は元々、函館よりもずっと小さな人口4000人ぐらいの今金という町で育ったんですけど、高校3年生の時に地元の学校を辞めてこちらへ来たんです。地元だと全く何もモノが無いし、刺激が無いんですよね。だけど函館は、強過ぎないぐらいの程よい刺激があって、それを作品に反映しています。あと、TERUさんやいろいろな方とも出会って得た感情もいい刺激になって、それを全部今は作品にぶつけることができています。

  • TERU

    今金にいたら、出会ってないね。

  • SHURI

    本当にそうなんです! 出てきて良かったです。 

  • PARA

    皆様がおっしゃっていたように、函館は本当に空気感が素敵なところで。海で歌っていた、とTERUさんが言っていたように、自然の中からインスピレーションを受けることが本当に多くて。見えるものもそうだし、聴こえる音とか、鳥の鳴き声とか、風の音とか、海の音とか、そういうのがもう全部、自分の感性全てに刺激を与えてくれている印象があります。

刺激を受けると同時に、癒しを得たり、充電されたりする感覚もあるんでしょうか?

  • PARA

    そうですね。時にはそれが大きな力、刺激になることもあれば、ゆっくりリラックスできる時もあれば。その自然の移り変わりによって自分の感性が変わっていく感じはあります。

皆さんで釣りを一緒にされることもあるんですか?

  • TERU

    うん、しょっちゅうです。レコーディングの時に「ちょっと合宿しよう」ということで、PARAとSHURIがスタジオに泊まって、その間にTAKUMIくんと絵の相談をしたりして。1回目の個展(『音の可視化展』2023年6月)の準備の時にもちょうど皆集まって釣りをしていましたね。

  • TAKUMI

    全然釣れないんですよ(笑)。

  • TERU

    あはは!次に「8月に丸々1ヶ月帰ってくるから」と皆に伝えたら、PARAとSHURIも「合宿したい」ということで、2、3週間ずっと泊まり込みで創作活動をしていたり、その間にTAKUMIくんや仲間たちが皆遊びにきて2人をかわいがってくれて、応援してくれたりして。その環境がすごく良かったですね。そういうふうに大人と関わることってなかなかないと思うんですよ。僕らが20代の頃もそうだったんですけれども、仕事だとあまり対等な付き合いはできなくて、命令されてそれに従うだけ、みたいな関係になるので。でも、函館スタジオだと本当に対等に、同じような感覚で皆いろいろな助言をしてくれたり、自分たちが10代、20代の頃にどういう生活をしてきた、みたいな話をしてくれたり。「大丈夫だよ。俺だって今何とかなってるんだから」という、その一言がすごく勇気付けてくれてるんじゃないかな?と思います。

  • SHURI

    そうですね……。

  • TERU

    どんな環境でもいろいろあるから、「それはしょうがないよ」っていうね。ただ、「今やりたいことをやりなさい」という一言は皆共通して言っているので。いろいろな人たちの助言で、PARAは学校を辞めるなど、環境をガラッと変えたんだよね。

人生の舵を大きく切る決断ですね。勇気が要りませんでしたか?

  • PARA

    「やるぞ!」っていきなりガッ!と舵を切ったんじゃなくて、流動的に、でした。TERUさんとか、ジジガガとかいろいろな方々のお話を聞いて、自分の心にも問い掛けてみて「たしかにそうだよな」って。大きな決断をバチッ!とした、というよりは、なるべくしてなったような感じが大きかったです。

  • SHURI

    去年の自分もいろいろ不安があって、「来年はどうなってるんだろう?生きてるのかな?」というぐらい心配でした。まさかこういうふうに出会えるとは思っていなかったので、一気に人生が変わったな、という感覚はありますね。TERUさんやTAKUMIさんは「こういう大人になりたい」というお手本で、憧れです。

  • PARA

    憧れとしても見ていますし、人生の先輩としても見ていますし、しかも対等にお話してくださるのは本当にそうで。上下関係を超えた、横……までは行かないかもしれないですけれど、 隣同士の関係でいろいろな助言をしてくださったり、いろんな話を聞いてくださったりするのは、もう本当に大きな存在と言いますか。自分の人生に光をもたらしてくれる存在だなとは常に思っています。

函館スタジオを拠点に、世代を超えた素敵な繋がりが生まれているんですね。

  • TERU

    俺が20歳の時にそういう人いてくれたら良かったな、と思いますよ。「お前らバンドやってんのか? “イカ天”か?お前ら売れるわけねぇべや!」みたいな人ばっかりだった、本当に(笑)。

だからこそ、ご自分は若い人たちをサポートできる場をつくろう、と?

  • TERU

    もちろん、音楽を真剣にやっていくうちにだんだんと、YOSHIKI(X JAPAN)さんみたいな人が現れてプロデュースをしてくれてデビューもできましたし、いろいろな人たちのサポートもあったんですけどね。アートもそれほどやってきていなかったけども、土田康彦(ヴェネツィアン・ガラス・アーティスト)さんとの出会いで「ヴェネツィアへ行ってみよう」となって、そこからガラス工芸をやってみたりとか。一歩先を行っている、僕らの上の世代の人たちが頑張っている姿を見たり、そういう人たちがサポートしてくれたりしたことで、「あ、こういうサポートって大事だな」と気付いたんです。40代、50代になっても分からないことってたくさんあるんだな、やっぱり教えてくれる人がいないとダメかもしれない、と常日頃考えながら生活していたので。今回は僕もTAKUMIくんの影響でちょうど絵を描き始めたタイミングだったし、「面白い、楽しい!」と思っていた状況でSHURIと出会って、「あ、こんな環境で描いてるんだ?もったいないな」と。大人が少し手を差し伸べてあげるだけで、もっといい環境で絵を描けるようになるのに……とか。PARAに関しても、心境の変化がなかなかできないまま閉じこもっていた環境から、もっと自由に音楽ができる環境になればこの才能を活かすことができるのになって。「サポートしてあげないと絶対にもったいない!」って、 出会った瞬間閃いてサポートし始めたんです。どちらにしろ、やっぱり才能があって、自分が本当に「あ、すごい!」と思えるからこそ応援できるわけで。わけも分からず若い女の子に「やってみようよ、売れると思うよ!」みたいなことを言っているわけではないので(笑)。

誰もそんなふうに思っていないはずです(笑)。

  • TERU

    本当にSHURIの絵が好き、PARAの書く曲、歌詞が好き、というのが根本にあるからサポートできる、というのはありますね。BEHIND THE CASKという函館産のウイスキーもそうだけど、ウイスキーが大好きで、凌くん(BEHIND THE CASK合同会社代表 澤田凌氏)のお酒が大好きだからこそ「全面サポートするぞ!」という気持ちで陰でいろいろ動く、とかね。

TERUさんの行動力は本当にすごいですからね。『THREE COLORS EXIBITHION』を機に函館を訪れる方たちに向けて、函館のおススメエリア、スポットがあればお聞かせください。

  • SHURI

    びっくりドンキーとか、土方・啄木浪漫館などがある長い海岸通りがおススメです。朝はすごく爽やかな海で、晴れの時は青森がクッキリ見えるんですよ。夕方はすごく美しい海に綺麗な夕陽が一望できる最高のロケーションで。いつも散歩するんですけど、そこが本当に大好きでおススメですね。

  • TAKUMI

    海岸通りで言うと、六花亭の2階でご飯が食べられるので好きです。僕のおススメは一択で、満腹食堂です。

あの有名な……。

  • TAKUMI

    有名な、というかTERUさんが有名にした、に近いです(笑)。

  • TERU

    あはは! そうだね。

  • TAKUMI

    最初に紹介してもらった時からハマッて、今はもう1人で行くぐらい好きな場所です。

TAKUMIさんのおススメメニューは何ですか?

  • TAKUMI

    醤油ラーメンです。ラーメンに乗っている「お芙を増してくれ」とか、 チャーハンも美味しいんですけど「福神漬けを増してくれ」とか、最近ではわがままを聞いてもらえるようになりました。

  • TERU

    まだまだ、わがままを言ってるところじゃダメですね。自然に山盛りで福神漬けが来るぐらいじゃないと(笑)。

  • TAKUMI

    もうちょっと通います(笑)。

PARAさんはいかがですか?

  • PARA

    自分は個人的に甘いものが大好きなんですけど、ぜひ函館にいらした際には甘いものをたくさん食べていただきたいな、と思うぐらい美味しいケーキ屋さんとかお菓子屋さんがあります。赤レンガ倉庫通りもそうですし、 スナッフルスだとか有名なお菓子屋さんがたくさんあるので。(原材料となる)牛乳も有名ですしね。

では最後にTERUさん、お願いします。

  • TERU

    今後の函館ビエンナーレの構想があるので、下見で函館美術館に最近行ってきたんですよ。TAKUMIくんはスケジュールの都合で来られなかったんですけど、SHURI、PARAと一緒に見てきたら、めちゃくちゃ良かったよね? 広くて。

  • SHURI

    函館美術館、いいですよ。

  • TERU

    近所にあったのになかなか今までは機会がなくて、初めて行ったんです。函館美術館をキュレーションしている方を紹介してもらって、函館ビエンナーレの話をしてきました。その方が世界中からいろいろな作家さんを集めて、その方の感性で展示するものを置いていたりするんですけど、普通の美術館とはまた違った感じの美術館で。今回『THREE COLORS EXIBITHION』を観た方は、「もっと絵を観てみたい」という気持ちになると思うので、時間があったらその足で函館美術館へ行って観てみるのもいいんじゃないかな?と思います。アンディ・ウォーホールの作品もあったしね。五稜郭タワーのすぐ傍なので、タワーにも行って景色を眺めたり、ソフトクリームを食べたり、あじさい(ラーメン店)へ行ったり。あの辺一帯だけでも楽しめると思います。金森倉庫の赤レンガ倉庫の辺りは観光客が多いんですけれども、五稜郭のほうまで足を伸ばす人は少ないと思うので、せっかくなので路面電車に乗って行ってみてはいかがでしょうか?

最後の質問ですが、今後、皆さんは函館とどのように関わっていきたいですか?

  • SHURI

    私は絵をやっているので、これはいつもTERUさんともお話しするんですけど、やっぱり函館のアートを盛り上げていきたいなと思っていて。函館でたくさん個展を開いて、グループ展とかもして、かつ、そういう函館の情報を発信していけたらな、と思っています。

  • TAKUMI

    函館は本当にポテンシャルがある街で。僕はパリに2年ぐらい住んでいたんですけど、(比較すると)函館は街の大きさがちょうどいいんですよね。移動もそうですし、歴史的なものもあるし、ご飯も美味しいですし。この街の魅力をもっとちゃんと伝えられたら、観光に限らず、もっといろいろな人たちが来る場所になるんじゃないかな?と感じます。いずれそれを建築家的な視点でもお手伝いができればいいな、とは思っています。そもそも、TERUさんをきっかけとして函館に滞在している時間で絵を描いていて、「函館で描いた絵だけの展示をしてみたいな」と思っていたんです。今回の三人展のスケジュールには間に合わないので、僕の昔の作品から今現在のものまで、いろいろなものをお見せできればな、と思っていて。今回は三人展で、金森という場所ですごく面白い企画だなというところで参加させていただくんですけど、いずれは、さっきTERUさんがお話されていた函館美術館とかでできるクラスの作家になって、函館で個展ができれば。それは遠い先でいいかな?と思うんですけど、そういう夢は抱いております。

  • PARA

    自分の故郷として大事にしていきたいな、というのは第一にあるんですけれど、やっぱり「アートを盛り上げていきたい」というTERUさんの考えには自分もすごく賛同していて。音楽家として、音の観点で函館をどんどん盛り上げていきたいなと自分も思っています。

今、PARAさんの拠点はどちらなんですか?

  • PARA

    函館と関東を行ったり来たりしています。函館にいるとやっぱりいいリフレッシュになるので、都会の喧騒を忘れてのんびりしたい時は帰ってくる、という感じです。

では最後にTERUさん、函館との関わり方について、今後の展望をお聞かせください。

  • TERU

    やりたいことがあり過ぎて、それもいろいろな出会いから出てきた発想なんですけども。SHURIの絵の先生の月村朝子先生という方が、「美術大がない」ということですごく悩んでいらっしゃって。美術を教える方は函館にいるんだけど、学校がないので出来ない状況だと伺ったんです。何年掛かるか分からないですけど、ビエンナーレをきっかけに街がどんどん注目されていく中で、「函館に美術大を作りたいね」という人の気持ちが集まって、小さい美術大でもいいからできてくれればいいな、と。それにプラスして、今も函館にありますが映画祭、音楽祭も開催したいですね。僕たちが高校生だった頃は、10代のバンドがライヴハウスに集まるティーンズ・フェスティバルみたいなイベントがあって、それに出たこともあったんです。そういう音楽、そして芸術というものが一挙に盛り上がっていければいいなと思っていて。そのきっかけがこの3人展から成る函館ビエンナーレなんじゃないかな?と。行く末は、東京に音楽学校、専門学校があるように、函館にも子どもたちが音楽、芸術を学べるそういった場をいっぱいつくってあげて、残してあげたい。あと何十年生きられるか分からないけれども、それが函館を愛する僕の役目かな?とは思っています。音楽と芸術と、食もそうですけれども、ちゃんと僕が中心になって皆を一生懸命引っ張っていきたいなと思っていますね。

SESSION

作品の話

TERU×TAKUMI×SHURI

3名合同展示会を開催することになったきっかけ、実現までの経緯をお聞かせください。

  • TERU

    函館スタジオでは前からTAKUMIくんが絵を描いていて。SHURIにも、「スタジオのほうが環境が良ければ、ここで描いてていいよ」と声を掛けたら道具を持ってきて、描き始めたんですよね。僕もSHURIとの下北沢での個展に向けたコラボ作『GIRAFFE』を描いていたので、1つの空間に3人がいて絵を描いてるのがすごく良くて。「この3人でイベントをやったほうがいいな」と思ったのがきっかけですね。時期としては、函館でGLAYのライヴもちょうどあるし、11月にやりたいな、と。

  • TAKUMI

    最初はたしか、TERUさんとSHURIちゃんで二人展をする、という話でしたよね。

  • TERU

    そうだったね。

  • TAKUMI

    僕はTERUさんの個展(『音の可視化展』)の時に会場構成をさせてもらったので、今回も「会場構成だったら手伝えるかな?」と思っていたぐらいだったんですけど、ドライブしていた時に「TAKUMIくんも入って3人展やらない?」という話になって。元々11月末に代官山で個展をすることが決まっていたんですよ。舞台美術の仕事もあって11月は結構スケジュールがタイトで、あまり現実味がないなと最初は思ったんですけど、「TERUさんとSHURIちゃんだし、これは絶対面白いよな」と。それで「是非」と答えたのを覚えています。

  • SHURI

    「これは夢なんじゃないか?」と思いましたね。最初は信じられなくて、「本当に言ってるのかな?!」というのが本音だったんですけど、キリンのコラボ作を一緒につくっていった時にはだんだん現実味が湧いてきて、どんどん楽しみになってきていました。「どうなっちゃうんだろう?」と、今でもドキドキワクワクしております。

遡って御三方の出会いについて伺います。TERUさんとTAKUMIさんはいつ頃出会われたのですか?

  • TERU

    土田康彦(ヴェネツィアン・ガラス・アーティスト)さんのドキュメンタリー映画『マゴーネ 土田康彦「運命の交差点」』の試写会後のパーティーで出会って、連絡先を交換したのが最初ですね。土田さんからちょっと長めのメッセージが来て、TAKUMIくんは今後日本の建築界を背負う人なので、ぜひ面倒を見てください、と書かれていたんです。「面倒見るってどういうことだろう?」と思ったんですけれども(笑)、会っていくうちに、本当に気が合うしどんどん連絡を取るようになっていって。ある時、京都にTAKUMIくんが内装を手掛けたカフェがあって、そこに作品を飾るのでぜひ来てください、と連絡をもらって遊びに行ったんです。そこでいろいろと話していくうちに、「すごく家族を大事にする人だな」と感じて。片岡鶴太郎さんの個展を観に行った時にはちょうどお父さんとお母さんがいらっしゃって、そこでお話させてもらう機会があったんですけど、やっぱりすごく家族を大事にしていて。僕は家族を大事にする人がすごく好きなので、そこでグッと気持ちが入った、というか。その後誘ったら函館にも初めて遊びに来てくれて、ジジ、ガガ(TERUの両親の愛称)とすぐ仲良くなって。きっかけは土田さんなんですけども、お互いに心をより許し合えるようになってきたのは、やっぱり親を大事にするという共通点がいちばん大きかったんじゃないかな?と思いますね。

アジア最大級のミニチュアミュージアム、スモールワールズで『LIVE at HOME Ⅴol.8』を開催された時も、TAKUMIさんが尽力されていましたよね?

  • TERU

    あの時も、京都でワイワイやっていた話の流れで、「スモールワールズを設計したんです。遊びに来てください」とTAKUMIくんに言われ、遊びにいったらすごく良くて。「あのステージで何かできるんじゃないの?」と言ったら、「ライヴができますよ」ということで6月8日の誕生日ライヴが決定したんですよね。そういうふうに僕が何気なく言った一言を、TAKUMIくんは具体的に形にしてくれる人なんです。すごく分かりやすくて、具体的かつちゃんと細部まで考えが及んでいると言うのかな?いろいろなリスクヘッジも考えているし、建築家だな、というのがすごく分かるような。そういうところでも信頼性がどんどん高くなっていきましたね。

  • TAKUMI

    TERUさんとは今みたいな関係になるとは全く思っていなかったので、本当に出会いって分からないな、というのが率直な気持ちです。仕事をいろいろしていても、連絡の取り合い方もそうですけどリズムが合わない人ってやっぱり付き合いづらくて、「もう1回この人と仕事したいな」とか、「この人と何かつくりたいな」ってあまり思わないんですね。TERUさんとは「リズムがすごく合うな」と個人的には思っていて。即断即決してくれますし、全てにおいて、何かを考える時の最終ゴールがすごく分かりやすいんです。「ファンの子たちが喜ぶかどうか?」とか、目的がハッキリしているので。お仕事だとかいろいろと一緒にさせてもらって、それが「いいな」と素直に思ったところです。

TERUさんとSHURIさんとの出会いはいつですか?

  • TERU

    今年だよね?

  • SHURI

    そうですね。SNSではちょうど1年前に、大丸札幌で個展をやっていた時に、母がTERUさんに関連したツイートを見つけて。「私の娘が函館で画家として頑張っております。今、大丸札幌で個展をやっていて、いつかTERUさんとご一緒に個展などできたらうれしいですね。一緒に函館を盛り上げていきましょう」みたいなツイートをしたら、TERUさんがまさかの、反応をしてくださったんです。

  • TERU

    そうだったね。

  • SHURI

    そこから私のTwitter(現X)に飛んできてフォローしてくださって。びっくりしすぎて、「ありがとうございます」というDMをしたんですけど、お会いしたのは4か月ぐらい経ってからですかね。

  • TERU

    そう、その時はご挨拶程度だったんだよね。SHURIにUHB(北海道のテレビ局)の番組が2年間ぐらいずっと密着していて、その関係で「『音の可視化展』を観にいってもいいですか?カメラ入っていいですか?」という連絡がマネージャーのほうに来たんですよ。元々、初日の前夜は完成披露としてスタッフ周りだけで集まってちょっと飲むことになっていたから、「そこに来てもらえばいいんじゃない?」ということで、お誘いしたら来てくれて。そこからだね?いろいろ話すようになったのは。

  • SHURI

    そうですね。

  • TERU

    ご両親もいらしていたので、いろいろ話したいこともあるし、ということでお誘いして後日一緒にご飯を食べにいったんです。そこで、芸術に関してというよりも、未来に関して、「どういうふうにやっていきたいの?」と聞いていくうちに、「プロとして今すごく悩んでいて、大変だったんです」という話をしてくれて。やっぱり環境って大事だよね、というところから、「スタジオに来て絵を描いていいよ」と声を掛けて。そこから交流が始まっていきましたね。

出会いから3人展開催までのスピード感がすごいですよね。

  • TERU

    僕、スピード感しかないので。後始末は周りの人たちがしてくれています(笑)。

会場は金森赤レンガ倉庫の函館ヒストリープラザ。この場所を選ばれたのはどんな理由があるのでしょうか?

  • TERU

    これはね、TAKUMIくんが下見に行ってくれたんです。

  • TAKUMI

    僕とSHURIちゃんと一緒に行ってきました。金森でやるとなった時に候補の場所が何個かあって。そこを案内してもらったら、金森ホールはレンガが良い空間をつくり上げているんですけど、他の場所はホワイトキューブというか、ホワイトボードになっていて、絵を展示するための壁になっているところが何か所かあったので、「金森ホールでやる必要なくない?」と思ってしまって。今回の展示場所は、金森の元々あるレンガの壁で、倉庫特有の天井高の高い空間を見て「やるならここしかない」と即決しました。

  • TERU

    時間がある時に3人で下見に行って、撮った写真を加工したヴィジュアルをInstagramで出したところ、すごく良いハマり具合だったので、「あ、これはイメージ的にもすごくいいな」と。

“過去・現在・未来 ―連鎖する創造性―”「過去、現在、未来、その連鎖する創造性」というコンセプトはどなたの発案ですか?

  • TERU

    これはTAKUMIくんの発案ですね。

  • TAKUMI

    3人展となった時、何か軸があったほうがいいな、と思ったんです。TERUさんが軸なんですけど、TERUさんは僕をきっかけに絵を描き始めた、という話をよくしてくださるので、TERUさんのきっかけになった僕を“過去”と見据えた時に、今“現在”のTERUさんはこういう絵を描いている、というのを見せられればな、と。SHURIちゃんはTERUさんからすると二世代、僕らより一世代ぐらい若いので、“未来”ある若者をTERUさんが応援している、期待をしているという意味で、“未来”を背負ってもらって。会場がちょっと横長なので、左側に僕で真ん中にTERUさん、右側にSHURIちゃんという構成の仕方がすごく綺麗だな、と。僕は建築家なので、その空間構成も見えたことから提案したコンセプトです。

  • TERU

    そのコンセプトを聞いた瞬間に、色がパンッ!と出て来て三原色のイメージが浮かんできて、「THREE COLORSってどう?」という提案をしたんです。「じゃあ誰がどの色にする?」というところから始まったんだよね。「俺は青でしょ?」と言ったら、「え? TERUさんは赤じゃないですか?」みたいな(笑)。

  • TAKUMI

    僕が描いてTERUさんにプレゼントさせてもらった絵も赤なんですけど、それはTERUさんのイメージが赤だったからで。黄色はやっぱりSHURIちゃん。キリンのイメージがあったので。なので、赤と青の取り合いです(笑)。

  • TERU

    「俺は青の絵しか描いてないから、絶対青だよ!」って言ったんだけど、TAKUMIくんが「え~? 僕赤のイメージあります?」みたいな(笑)。

  • TAKUMI

    全然ない(笑)。

  • SHURI

    あの時はめちゃくちゃ楽しかったですね。私はキリンがすごく大好きなので、黄色があって良かったなと、ホッとしました(笑)。

  • TERU

    SNS用に色をはめてつくってみたらすごくハマりが良くて。そこから三原色、THREE COLORSというテーマも生まれてきて。

  • TAKUMI

    最初は“繋ぐ”という意味でCONNECTとか、あとはSPIRALとか、いろいろ案があったんですけど、三原色と聞いた時にしっくり来ました。函館スタジオの2階にあるソファーのところで打ち合わせをしながら決めたんですけど、あの時はテンションが上がったのを今でも覚えています。

三原色ということで、各自の個性が強いだけでなく、混ざり合っていろいろな色が生まれていく、という想像も膨らむタイトルです。そのように、御三方もお互い刺激を受け、影響し合う部分はありますか?

  • TERU

    SHURIからは、朝から夜までずっと集中して絵を描いているのを見て、すごく刺激を受けるんですよ。絵描きさん特有のものなのかな?と思うんだけれども、その集中力はすごいなと思う。自分は音楽もやっているし絵も描いているけど、「もっと頑張んなきゃな」と思うし、すごく背中を押されます。TAKUMIくんは、いろいろな物事の決め方に建築家特有の構成力を感じるのが素晴らしくて。やっぱり1つの絵を説明するのにいろいろな情報があるわけですよ。TAKUMIくんは会話一つ取っても、その知識力がすごく勉強になるし、自分も函館を語る上で「函館についてもっと勉強してみよう」と思ってまた新たに調べてみたり。そういう刺激をもらえますね。

  • TAKUMI

    僕がTERUさんから学ぶのは、実行力ですね。TERUさんはすごいスターなので、もうあぐらをかいて「これやります」で終わればいいぐらいのポジションにいるのに、 ツアーを組むとなったら全部1から、メンバーを集めてご飯屋さんの予約からスケジュールを立てることまで、全部ご自身でやってくださるんですよ。

  • TERU

    あはは!

  • TAKUMI

    それを1番上の人がやってくれるというのは、僕からするともう、本当に極みだなというか。僕自身も幾つになってもそうありたいという理想像を実際、間近で見させてもらっている感じです。SHURIちゃんに関して言うと……僕の作品はどれだけ抽象的にして想像させるか、というところなので、 いかに手数(?)を少なくするか?が重要なんです。付加価値をどうやってつくるか?が、僕のアートに対して大切にする部分で。でもSHURIちゃんは 1つの絵に対しての緻密さがすごくて、レイヤーに次ぐレイヤーで、「この色を出すために、まずは全面その色で塗ってから、その後に……」という描き方をする。僕からすると考えられないような絵のつくり方で、僕が持っている付加価値のつくり方の構成とは全然違うところでアートを体現されているので、素直に「すごいな」と感じます。そういう緻密さみたいなものは、手法としてではなくても、僕がアートの中に落とし込みたいな、と思うところです。4人のトークの中でもありましたけど、年齢を問わずフラットに付き合えるのも、SHURIちゃん、PARAちゃんのつくり上げるものに対して、その才能を本当に認めているからこそなんです。そうじゃないと、「そんな作品で何を言ってるの?」と僕は思っちゃうタイプなので。だから、才能を認めている人に対しては同様に対応するし、口だけの人って世の中に腐るほどいて、そういう人たちに僕はいろいろと言われてきた過去があるから、その人たちとの差異はすごく意識しているかもしれないです。

  • SHURI

    私はお2人から刺激を受け過ぎて、自分の理想像でしかなくて。TERUさんに関しては、絵を描かれるようになってまだ1年半ぐらいなのに成長速度が本当にすご過ぎて「ヤバいな」って、ビックリする部分があります。作品をつくる数の多さもすごいな、と思って。自分は結構時間を掛けてしまうので。たくさんつくれるようになりたいな、と今頑張っているんですけど、やっぱりまだまだその領域には行けないので尊敬していて、すごいなと思っています。TAKUMIさんに関しても、海とか空とかを見たらすぐに作品にできる、というスピード感が「ヤバいな」と思います。しかも、作品からエネルギーをすごく感じるんです。尊敬です、本当に。すみません、語彙力が……お2人は天才ですね、本当にめちゃくちゃ尊敬します。

  • TERU

    そうだろう、そうだろう(笑)。

  • SHURI

    師匠です、本当に! 理想ですね。

  • TERU

    僕もTAKUMIくんも横の繋がりがすごく広いから、SHURIが憧れの作家さんの話をしたら、「じゃあ会いに行く?」みたいな、あのスピード感はエグかったよね。

  • TAKUMI

    あ、井田(幸昌)くんですね。

  • SHURI

    憧れですよ。お2人のようになりたいです。

  • TERU

    10年経ったらそうなってるよ。

  • SHURI

    はい、頑張ります! 絵で生計を立てているので、明日も明後日もずっと心配ではあるんですけど、こういうふうにTERUさんとかTAKUMIさんとか、仲間というか味方がいるので、前に比べたら不安が減って、心強いですよね。

最後に、『THREE COLORS EXHIBITION』に足を運ばれる方々に、どういうふうに楽しんでほしいか、一言ずつお願いします。

  • TAKUMI

    素直に、3人の作風の違いを観ていただいて。作家ってどういう形でもいいんだ、という可能性みたいなものを見てもらえればいいかな、と思います。決まった作風も決まりもほとんどないので、「こんなにも自由でいいんだ」というのを、観て感じていただいて、「自分でも描いてみようかな」とか、絵というものが自分に近い存在になってくれればうれしいかなと。あと、僕は一昨日ぐらいまで、井田くんの新しい展示のオープニングのため京都に行っていたんですけど、すご過ぎて。それで、今回函館で展示する中で一個変えよう、と思った作品があるんです。その作品は函館でしか観られないものになりますので、来ていただいた方だけが楽しめる展示なので、それを感じていただければなと思います。

  • SHURI

    私もTAKUMIさんと同じ意見で、観てくれた人は本当に自由に受け取ってもらっていいし、それぞれを観比べてもいいと思うので、この3人展をきっかけに「自分も絵を描きたいな」と思ってもらえたらうれしいです。

  • TERU

    僕らはアナログの時代もデジタルの時代も全部経験してきた中で、今はNFTだとか、SHURIもやっているようにiPadで絵を描くとかいうのもありますけども。絵の具の盛り上がりとか、光が入った時にできる陰影とかってなかなかデジタルでは観られないものだから、実際に細かいところまで観て、「ここのこだわり、TERUさんだったらたぶんわざとやってるんだろうな」とか、そういうのを楽しんでもらえたらうれしいですね。それが興味になって、「自分もやってみたい」という行動に繋がってくれればアートもどんどん盛り上がってくるんじゃないかな?と思います。

SESSION

テーマ曲の話

TERU×PARA

まずは、お二人の出会いのきっかけと第一印象をお聞かせください。

  • TERU

    きっかけは、『音の可視化展』が始まる時にSHURIが遊びにきてくれて、一緒に食事をすることになった夜に、「今函館に帰ってきている友だちでミュージシャンをしている子がいるので、誘ってもいいですか?」と言われて、それがPARAだったんですよね。PARAが来る前に聞いていた説明では、音楽活動をしていて、順調ではあったんだけど今は大学を休学している状況で、心が大都会にちょっと負けてしまい、函館に帰ってきているんです、話を聞いてあげてください、ということで。そこへ入ってきた時のPARAは本当に暗い感じで目も合わせないし。「大丈夫かな?」と心配になるような感じの子でした。

  • PARA

    SHURIから急に「TERUさんが『今から会えないか?』って言ってる」というLINEが来て、まず向かったのがさっきの経緯で。初めてお会いした時は、本当に私と真逆の方がいらっしゃる、と思って(笑)。太陽のように明るい方がいらっしゃる、と。その時は心がかなり荒んでいたので、すごい……光に見えました。

  • TERU

    「眩しい~!」って(笑)?

  • PARA

    はい、「目が~!」って(笑)。

そんな真逆のお2人のコラボレーションが実現するまでには、どういう経緯があったのでしょうか?

  • TERU

    どういう曲をやっているのか?を知りたくて、まずはYouTubeに上がっている曲を聴くようになって。その後、 レコーディングで函館に帰った時に、「もしやることがないんだったら、スタジオに来てエンジニアの工藤(雅史)さんのお手伝いでもしてみれば?気分転換になるよ」と声を掛けたんです。「いい曲をたくさん書いてるんだから、もったいない。歌ったほうがいいよ」とも言ったんだけど、精神的なことで、声が出ないっていう。

  • PARA

    心因性失声症で……。

  • TERU

    しゃべる声すらも全然出ないという状況だったんですよね。もし環境が変わって少しでもストレスが軽減されれば歌えるようになるんじゃないか?と思い、スタジオで何曲か歌ってみようよ、ということでサポートをし始めたんです。そういう症状を持つシンガーを診てきている針の先生に連絡を取ったら、「時間を掛ければたぶん大丈夫になりますよ」と言ってくれたので、じゃあまずは自信が付くようなことをやろう、と。スタジオのお手伝いをしながらも、皆で一緒に釣りをしたりご飯を食べたり、心を軽くするようなことをしていったんです。ある時僕らが釣りをしていたら、遠くからPARAが「曲ができました~!」って、今まで見たこともない明るい表情で走ってきて。「どうした?」って訊いたら、「いい曲ができました」と。聴かせてもらったすごくいい曲で、「これを形にしてみよう」となったのがそもそもの始まりだったんですよね。それは今回のテーマ曲とはまた別なんですけども。

  • PARA

    「其の声」という曲です。

PARAさんは今回、テーマ曲を担当することになった時、どう思われましたか?

  • PARA

    もう、「ビックリした」の一言なんですけれど。経緯としては、TERUさんから3人展を行うと知らされて、「すごく素敵なプロジェクトだな」とまず思ったんですよ。そうしたら、「BGMを書いてみないか?」と言われて。「ぜひ挑戦させてください」と言ったのが全ての始まりでした。

曲づくりはどのようにスタートしたのですか?

  • TERU

    PARAは作詞作曲、バックトラックの制作も全て一人でできるので、僕はある程度完成されたデモを聴いて、「これめちゃくちゃいいじゃん!」ということで、それを二人でつくり込んでいきました。でも、自分の中で限界がちょっと見えてきたので、村潤(村山☆潤/GLAYのサポートキーボーディスト)にデータを送って「めちゃくちゃいい感じにしてほしい」と頼んだら素晴らしい形で返ってきて、また盛り上がりましたね。「じゃあラップを入れよう」とか、「素材が足りないからAメロを歌ったデータを送って」とか、PARAとは一日に何度もやり取りをしながら、僕はミックスもしつつ、どんどん完成していって。時間を掛けてじっくりとつくり込んできた感じはありますね。

TERUさんのラップは新鮮でカッコ良かったです。

  • PARA

    ラップも、私が作詞しました。

  • TERU

    最初は「囁くようなラップを入れて」とPARAには言っていたんですけど、「ちょっと俺もやってみたいな」と思ってやってみたらすごく気持ち良くなっちゃって。PARAは囁いてるのに僕だけ本気でラップしてるという(笑)。でも、また新しい扉を開いてもらった感じはします。

作詞はどのように進めるのですか?

  • PARA

    メロディーを考えながら歌詞も一緒につくっているんですけれど、歌いながら言葉をどんどん言いながら、スマートフォンにガーッ!とメモしていく方法を取っています。今回は、まずはやっぱり3人展のイメージ、テーマに沿った曲を書こうと思って。赤、青、黄色という言葉を入れてみたりとか、三原色という強いワードを入れてみたりとか。でもそれもものすごく頭を抱えながら考えたわけではなくて、御三方の絵を観ていたり、お話をしていったりする中で感じたことから、スルスルスルって言葉がいっぱい出てきたので、 ものすごく流動的に作詞作曲できた印象はありました。

音を聴くと広い空など自然界の情景が浮かんできたのですが、PARAさんの中にはどんなイメージがありましたか?

  • PARA

    やっぱり函館で曲をつくったから、大きな自然が広がるような印象を持たれる感じになったのかな?というのと。色というワードが強くあって、頭の中が常にいろいろな色でワアッ!となっている……上手く説明できないんですけれど(笑)。たくさんの自然だったりとか、イメージとしての色だったりとか、曲を聴いただけでいろいろなものを想像できる作品に仕上がったんじゃないかな?と思っています。

TERUさんは歌詞からどんなことを感じられましたか?

  • TERU

    自分たちにはないワードのチョイスは、「世代の感性なんだろうな」というのもあるし、 元々の根暗なところがいいなぁって(笑)。陰と陽で言うと、僕はもう完全な陽なので、なかなか自分は遣わない言葉をめちゃくちゃ遣っていて、それが引っ掛かったんじゃないかな?と。パーソナルなところで言うと、中学卒業と共にもうスマートフォンで音楽をバンバンつくっているような世代で、しかもイヤホンマイク1つでレコーディングして。僕たちには到底追い付けない何かを持って生まれてきているので、次世代の新しい作曲スタイルと感覚を持っている。それにプラスして才能があるので、今までにはいなかったタイプの子が誕生したな、と。PARAにはいろいろな過去があって、しかも声が出ないという逆境に10代でいきなり晒される人生ってなかなかないし、それでも頑張って立ち上がろうとしている姿をカッコいいな、と思えたのが、僕がサポートしたくなった唯一の理由なんじゃないかな?と思います。普通なら音楽は諦めて家に閉じ籠っている環境になるようなシチュエーションではあるんだけども、そこでも音楽をつくることが大好きで、それが人生の 1番の喜びと思えているのが才能なんじゃないかな?って。そういうところに僕はすごく惹かれたので、今回のテーマ曲の制作もお願いしたし。まだまだたくさん曲があって、世に知らしめたい音楽がいっぱいあるから、お手伝いして今後皆さんの手に届くような状況をつくってあげられたらな、とは思いますよね。

PARAさんの声には独特の魅力があると思うのですが、ご自身ではどう思っていらっしゃいますか?

  • PARA

    いろいろな人たちから「いい声だね」とか「不思議な声だね」「特徴的だね」とか言われるんですけど、あまり自覚がなくて。でも最近TERUさんとかその周りの方々に言われる頻度が高くなってから、「あれ、特殊なのかな?うれしいな」と思うようにはなっています。

そもそもPARAさんが音楽を始めた出発点は、いつ頃、どういう形だったのですか?

  • PARA

    3歳からピアノを始めていたのが全ての始まりでした。親の影響でカーステレオとかで音楽を聴くことも多くて、ピアノでそれをカバーして弾いてみるうちに、「自分の好きな曲って何だろう?」と、ふと思ったんでしょうね。5歳ぐらいの時には自分の好きな曲を自分で、ピアノでつくるようになったのが作曲の始まりでした。その後は携帯ゲーム機、DSとかで曲をつくったり、パソコンで曲をつくったりとかしていて。中学卒業後が転機で、iPhoneを親に買ってもらい、そこから本格的に作曲するようになったんです。曲をつくるのが楽しいな、でも自分だけで終わらせるのは嫌だな、人にも聴いてもらいたいなと思うようになって、 YouTubeやSNSに上げる活動を始めました。

内面を赤裸々に表現した歌詞が多い印象なのですが、PARAさんと自身と音楽とはどのぐらい一致しているのでしょうか?

  • PARA

    自分が中学生、高校生の頃は友だち付き合いをしてこなかった人間なので、普段から人と関わることがあまりなかったんですよ。ただ、他の人たちが関わっているのはよく見ていたので、それに対して思ったことを性格上ズバッとは他人に言えなくて。そこにあったモヤモヤとか感じたこととかを全て言葉に乗せて曲にしちゃって流す、というのがストレス発散になっていました。ただ、いろいろな方々に会ったり、TERUさんとかといろいろなお話をしたりする時に、負の感情以外の何か新しい優しい、温かい想いも自分の中に芽生えた感じがして。それも歌詞に書いてみよう、曲に表してみようと思うようにはなりました。

  • TERU

    40歳ぐらいで皆その壁にぶち当たるのに、19歳でその悩みにぶつかるというのは、選ばれた人なのかもしれないね。

  • PARA

    自分のことを「音楽に呪われている人だ」とずっと言っていて、曲をつくらないと自分は死んでしまうんじゃないか?ぐらいの焦燥感に駆られてずっと曲をつくっていたんですよ。ただ、曲ができた後、自分が好きな曲が生まれることになるので、それをずっと聴くことで自分の音楽に救われて……みたいなことをずっと繰り返していて。TERUさんが「君は音楽に愛された人だから、呪われてる人じゃないから」と言ってくださったのがものすごく心に響いて、「本当にそうなのかもな」と思えたことで大きく変わりましたね。

  • TERU

    僕が音楽を始めた当時なんて、「モテたい」とか(笑)、ヴォーカルをやったらカッコいいんじゃないか?みたいな。それでちょっと人気が出たから上京してプロを目指そうとしたけど挫折して、という流れで。「自分は本当に音楽が好きなのかな?」と悩んだ時もあったぐらいなんですよ。だって、普段からTAKUROは楽曲をつくったり歌詞を書いたりするけれども、僕は「アルバムをつくります」とか決められた時ぐらいしかつくらないし、普段そんなに聴くわけでもないし。でもやっぱりライヴが好きで、表現することが好きだから、表現することの1つとして音楽や絵に僕は心が向いているんだろうな、と。PARAのように、「曲をつくらなきゃ死ぬんじゃないか」という焦燥感を抱くような天才の音楽家はいると思うから。しかも声がいい、歌が上手いというのは持って生まれたすごい才能だなと思うので、初めて聴いた時から「あ、この子は絶対ギフトをもらっているから、ちゃんと世に知らせなきゃいけないな」と。長年音楽をやってきた勘というか、いろいろなものを聴いてきたけど初めてだもん、こうやって「あ、すごいな!」と思ったのは。真横にTAKUROという素晴らしい天才がいるから、他のミュージシャンの才能をあまり羨ましく思ったことはなかったけど、まだ20歳という歳でここまで超越している人ってなかなかいないなって。しかも、スマートフォン1個で出来るのも“時代が生んだ”と感じるし。パソコンを弄っている時の手のあの動きを見ると、今のどんな素晴らしいミュージシャンも到底追い付けない、そのぐらいの情報量も頭にはインプットされているのが分かるから、この世代の人たちは僕からするとスーパーマンみたいに見える。あと20年、30年後に僕と同じ歳になったときにはもっとすごいことをやってそうだし。そう考えると今スタートラインで挫けて才能をダメにしてしまうよりは、それを引き上げてくれる大人がたくさんいてくれるといいのにな、と。僕は人に預けるのがすごく得意で、いろいろな人に相談して、いろいろな人が手を貸してくれる環境をつくるのがすごく上手いと思うので、今回もたくさんの大人たちがいる中で、PARAの音楽を聴いてもらったら「すごくいいですね」と言ってくれたんですよね。だから、そこからまた違う分野でもPARAが活躍する場所が増えてくるんじゃないかな?と思うんです。そういうきっかけをつくりたい、という想いで今サポートしていますね。

「曲ができました!」と海で走ってきた時のPARAさんは、悩みが流動的にほどけていった感じだったんでしょうか?

  • PARA

    曲ができた瞬間は流動的ではなくて、本当に弾けるような、“降りてきた”という言葉がピッタリ合うぐらいスッと出てきました。声が出なくて辛い時期だったので、「海に行って歌ってきたらどうだ」とTERUさんがおっしゃったので、海に皆さんで行って、釣り場に釣り竿を置いたまま遠くに歩いていって、歌いながら行ったり来たりしていたんですけど。その時に何かがあったわけではなくてバッ!と降りてきて歌って、すぐそれをiPhoneで録音して。「あ、歌詞が来た。歌いながら歌詞も書いちゃおう」と全部バーッと書いて、自分の気の済むまでそれをやったんですよ。そうしたらいつの間にかサビあたりまで出来ていて、「あ、できちゃった!TERUさん!」と駆け寄った記憶があります。

苦しい時、周りから例えば「頑張れ」とか、何を言われてもできない時はできなかったりしますよね。TERUさんの寄り添い方は、他の人とは何が違ったと思われますか?

  • PARA

    声が出ない辛さって、普通に生活している中ではあまり感じることがないと思うんですよ。自分の声が出ない感覚っていうのは、 ずっと首をグーッと絞められているような、すごく苦しい感覚なんですね。その出ない辛さは皆やっぱり分からなくて、「いつか出るようになるさ」とか、「大丈夫、出るよ」みたいな。それか、 薄っぺらい……と言ったらひどい言い方ですけど、「まぁ仕方ないよね」とか「頑張れ」とか。でもTERUさんは違っていて。TERUさんも歌を歌っていらっしゃる方なので、自分とはもしかしたら(原因が)違うかもしれないですけど、声が出ない経験はあると思うんですよ。その痛みとか辛さをすごく親身に分かってくださるというか、聴いてくださって。TERUさんなりの声の出し方のコツも少し教えていただいたりもして、そうするうちに「悩んでるのは自分だけじゃないんだな」と、もしかしたら思ったのかもしれないです。すごく心が軽くなって、ちょっと前まで出なかった声が、今は普通に話せるぐらいまで復活して、本当にありがたいなって思いました。

TERUさんは温かく見守り、サポートなさってきたんですよね。

  • TERU

    過去に、声が出なくて悩んでいるシンガーから相談されたことが3回あるんです。そういったプロのずっと年上のミュージシャンでさえ悩んでいるのに、 弱冠二十歳の子がいきなりこんな辛い状況にいる、ということで、まずは気楽に楽しいことをいっぱい探していこう、別に歌わなくていいから、と声を掛けたんですよね。リラックスして、とにかく今抱えているストレスを全部無くすような作業を少しずつしていけばいいんじゃないかな?と思っていたので。ちょっと歌ってみて、「あ、今日もつっかかるか。じゃあ飲みに行くぞ」みたいな感じで時間を過ごして。それまでの「やらなきゃいけない」という強迫観念から、「無理にやらなくてもいいんだ」というところに一度戻してあげられたらな、と。そういう努力はしたけど、それ以外は特に何をしたわけでもなくて。「いい歌は絶対に歌えるんだし、いつか歌えるよ」という気楽な感じで付き合うようにはしていましたね。期待していなかったわけではないけども、まさか1カ月間の合宿で声が戻るとは!戻らなかったら戻らなかったでしょうがないよね、というスタンスで付き合うようにはしたし、そういうPARAの姿を見て、周りの友だちもその状況をどんどん分かってきて。スタジオの3階のリビングでウロチョロしながら大声で歌っているPARAを、ジジガガ(TERUの両親)も優しく見ていて、「お、声出てるじゃん」って。僕が函館にいない時も面倒を見てくれたり、応援してくれたりとかして、PARAの第一の理解者だったんじゃないかな?と思います。

テーマ曲が3人展の会場で流れることになりますが、どんなふうに届いてほしいですか?

  • PARA

    まずは、絵にしっかりとマッチした曲ができましたので、ぜひ絵を観ながら、そして家に帰ってその曲を聴いて、御三方の綺麗な絵をまた思い浮かべながら楽しんでほしいな、というのが第一にあります。自分のつくった音楽が、皆さんが函館に来てくださるタイミングでたくさん聴いていただけるって思うと、とても貴重な機会をいただけたと感じていて。「もっと自分のつくった音楽を聴いてもらいたい」という欲もたくさん出てきているので、これからもたくさん作曲して、いろいろな方の心に響くような音楽をつくっていきたいな、と思っています。

  • TERU

    絵もそうだし、音楽もそうだし、食もそうなんですけども、その時観たいもの、その時聴きたいもの、その時食べたいものの中に、PARAの音楽も加わって、皆さんの日常生活の中にしっかり入ってくれたらうれしいな、と思います。才能のある人は他にもたくさんいると思うんだけれども、出逢いもそうだし、函館というキーワードもそうだし、これから函館を一緒に盛り上げていく仲間たちの1人でもあるので、ぜひとも注目してほしいなと思います。

All Interviews Text By Tae Omae

シンガーソングライター

PARA

中学卒業後、iPhoneのアプリで楽曲制作を始める。現在はノートパソコン1台で、作詞作曲から歌唱までを行う。GLAYのコーラスヘの参加や、あうん堂にて開催されるTERUの作品展『万里ー空』にて告知や館内のBGMに楽曲が起用。今回、作詞作曲した3人展のテーマソング、THREE COLORSのアレンジは村山☆潤氏が担当している。

<コメント>
「三原色」をテーマに自分の「やりたいこと」と「届けたいこと」を詰め込みました。 私は思いのままに楽曲を作ることが多いのですが、短い音楽が世に溢れる昨今に7分50秒という長編が出来上がったのは、きっと楽曲への思い入れが今まで以上に強かったからだと思います。
自分がぶつかった壁や、それを乗り越える過程。新たな出会いや別れを経てようやく生まれた「THREE COLORS」。
誰もがそれぞれの色を持っています。この楽曲は私自身だけではなく、聴いてくださる皆さんのための楽曲でもあります。 この先に待っている未来の色を想像しながら楽しんでいただければ幸いです。

アレンジ担当

村山☆潤

日本のキーボーディスト、ピアニスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。
鹿児島県出身。

<曲の感想>
DEMOの段階から包み込むような優しさと、静かに高く羽ばたくイメージを受けたので、そのイメージを膨らませる作業に徹しました。絵を描く音を加工しリズムに乗せてみたり、メロディがより美しく聞こえるようにリハーモナイズしてみたり、受けたイメージからどんどんアイデアが降ってきたので楽しくアレンジできました。
そして今回は、普段やらないMIXも担当させていただきました。改めて、MIXエンジニアの偉大さを痛感しながらも、新しい事にチャレンジできて、個人的にも大変勉強になりました。好き勝手アレンジした自分のオケデータに加え、膨大な量のコーラスの管理と、TERUさんから次々と送られてくるデータに奮闘しながらMIXしました。

最後の最後に追加で送られてきたPARAちゃんとTERUさんのRAPパートと、こっそり全体を躍動してるTERUさんが弾くギターと、後半に出てくる空まで突き抜けるようなコーラスラインがお気に入りです。

THREE COLORSのテーマ曲としてアレンジを膨らませましたが、聴いてくれた皆さんにとっても、何かのテーマ曲になってくれたら嬉しいです。

RELEASE

PARA /「THREE COLORS」Teaser

TALK SESSION

TERU×TAKUMI×SHURI
Talk session

絵画展の開催を記念し、開催期間中の11月13日(月)に作家3名によるスペシャルトークセッションが行われることが決定しました。
金森赤レンガ倉庫 金森ホールで2部に分けて開催される今回のトークセッションは、合同絵画展開催のきっかけや、作品制作秘話など本人達より語られます。
また、アフターショーとして、TAKUMI・藤倉朱里によるサイン会&フォトセッションも実施。
世代やジャンルを超えた3名のアートへの価値観を、余すことなく感じ取り、彼らの作品への造詣を深めてみてください。

開催日

11月13日(月)

  • 【1st Stage】

    トーク     12:30開場/13:00開演
    サイン・フォト 14:00~15:30

  • 【2st Stage】

    トーク     16:30開場/17:00開演
    サイン・フォト 18:00~19:30

※クリアファイルに直筆サイン
※サイン会、フォトセッションでTERUの参加はございません。

開催場所

金森赤レンガ倉庫 金森ホール

所在地: 〒040-0053 北海道函館市末広町14−12 金森赤レンガ倉庫

JR函館駅より
■お車で約5分
■徒歩で約15分
■市電ご利用の場合は、谷地頭又はどっく前行き乗車(乗車時間約5分)十字街電停下車。電停から徒歩約5分

お問い合わせ先

info@wess.co.jp

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