TAKUMI

建築家・現代美術家

建築家兼アート作家としてのキャリアの出発点からお聞かせいただけますか?

父親が建築をやっていまして、なので僕は名前が匠ですし、幼少期からバイトという名のお手伝いで父親の手掛ける現場によく行っていました。ものづくりはすごく近い存在だったので、自分も父親の仕事みたいなことをしたいな、とふと思って、一級建築士になるためにいろいろと勉強していました。学生時代、建築家の安藤忠雄さんが大学に講演に来られた機会がありまして、「建築家っていいな」と。それまではただ建築をやりたいと思っていたのが、建築を通して社会に対して何かをすることに、19歳ぐらいだった僕はすごい衝撃を得たんです。それで有名事務所へ行きたい、と言ったものの門前払いをされて。有名事務所はそういうものか、という洗礼を受けることになります。教授が嫌いだったので学校は休学して、建築事務所でのアルバイトをいくつか探した時に、有名事務所の門も再び叩き、2年ほどインターンという形で行かせていただいて。本当に有名な建築家の事務所を転々とスタンプラリー的にアルバイトで行かせていただいて、若い頃に第一線を見させてもらったのがすごく良かったな、と思っています。「僕もこういうふうにいつかなりたい」というのもあれば、「こういう人にはなりたくない」というのもあって、それが良かった。パリの建築家の建築事務所に1年半ぐらいいたんですけど、その時に杉本博司さんという世界的な現代美術家と出会いまして。彼のアシスタントをしていた時に、アート関係者やアートのことをたくさん知る機会に恵まれました。杉本さんがアート以外にも建築や文楽などを手掛けているのを見て、自分も「建築だけではなくて、いろいろなものを表現したいな」と。そこからアートというか、建築とはまた違う道もやり出した、という感じですね。

TAKUMIさんがアート作品をつくられる時に、いちばん大事にされている軸は何ですか?

建築家の仕事をしていると、すごくストレスが溜まるんです。どういうことかと言うと、クライアントの要望があって、予算やスケジュールが決まっていて、もちろん法規があり、施工会社から「これはできる、できない」というのもいろいろと言われますし、仕事のほとんどは、それらをいかに調整して完成まで漕ぎつけるか?なんですね。建築家がデザインだけやっていると思ったら大きな間違いで、ほんの一部ですし、それをどう具現化させるか?が仕事であり、その実行力が必要で、いろいろなストレスを抱えるんです。ストレスも僕は一つのエネルギーだと思っていて、それを発散するために買い物したり、カラオケに行ったり、友だち同士ワイワイやったりするのはあまりクリエイティブではないな、と僕は感じていたので、「ストレスすらもクリエイティブにできる方法はないかな?」と。それでキャンバスに顔料をぶちまけていたら、すごいストレス発散になったんですね。そうしたら、タイのあるアートギャラリストの方から、「個展をやらないか?」という話をいただきまして。タイのバンコクで個展をさせていただいたのが、アート作家としての活動を始めたきっかけですね。ありがたいことに、高級ホテルの階下にあるギャラリーだったので、お金持ちの方たちの目に触れて、日本円で1枚80万円ぐらいの作品が8枚ぐらい売れたんです。自分がストレス発散で描いたものが価値を持ったと感じましたし、それでできたお金で画材などを買うのはすごくクリエイティブだな、と。負のエネルギーと思っていたストレスが、つくるエネルギーやきっかけになるというのは、いいスパイラルに入るな、と思って絵を描き続けているのが今の状況ですね。座談会でもお話したように、函館にいるとあまりストレスが湧かないんですよ(笑)。なので、アクション・ペイントという手法が成り立たなくて、どちらかというと海の波の流れだとか、山の風景、太陽の光だとか、少し落ち着いた雰囲気なものを見る機会が多いので、そこから影響を受ける作品が多くなります。

今回の展示作品は、函館でつくられたものを中心としながら、他の作品も盛り込んだ構成になるのでしょうか?

はい。元々函館で絵を描き始めたきっかけは、いつか函館で自分の作品を展示する機会を作りたいな、という本当にぼんやりしたところだったので、まさかこんなに早くその日が来るとは思っていなかったんです。TERUさんの「3人展やらない?」という言葉をきっかけに発表する機会ができたので、作品数もまだそれほどないんですね。僕のスペースに展示するのは10点ぐらいなんですけど、その半分ぐらいしかないので。残りの半分の作品は、今回のテーマでもある“過去・現在・未来 ―連鎖する創造性―”に沿って、過去の僕の代表作を東京からお持ちするのと。あとは、函館でつくった作品が現在で、”未来“としては、クランプド・シリーズという、紙をクシャクシャにしたような作品で壁中を埋めてやろうと思っています。

TAKUMIさんにとってアート作品は、その時々の心理状態を反映させて生まれていく、変幻自在のものだと言えるでしょうか?

僕にとってアートは1つの表現方法なので、建築も表現方法ではあるんですが、それと比べるとアートは自由に、何も決めずにやれるもののことかな?と。ただ、自由とは言いながらも、キャンバスという制約はあるんですよ。なので、どう頑張ってもキャンバスの枠の中に閉じ込められてしまう。そのトリミングされたものがアート、絵と呼ばれる1つのフォーマットというか。今、函館の太陽を連想させるような壁一面の作品をつくろうと思っていて。井田幸昌くんという、SHURIちゃんも憧れている作家さんで、僕の友人でもあるんですけど、彼の京都の展示を観た時に、「やっぱりアーティストは、ズバ抜けた、突拍子もないことをやらないとダメだな」と気合いを入れられまして。壁を取っ払ってしまうので、函館での展示中の1週間しか存在しない作品になりますし、是非皆さんに観ていただきたいな、と思っています。

年齢を重ねることによって、表現したい内容や作風が変わってきた、という感覚はありますか?

僕は今38歳で、30歳で独立してから絵を描き始めたので、8年ぐらいになります。描く手法が変わってきただけで、僕自身はほとんど変わらないんですよ。もちろん経験は増えていますけれども、自分の好き嫌いは昔から変わってないので、食べ物も好きなものはずっと好きだし、嫌いなものは嫌いだし、その好き嫌いを持っているからこその個性でもある気がしていて。だから、周りから「好き嫌いは良くないよ」と言われても聞き流しています(笑)。最近の世の中的には皆に合わせることを良しとする中で、僕はそれぞれがもっと自由であるべきだと思うので。もちろん協調性や法的な部分は守らなければいけないにしろ、自由であること、わがままでいられる究極の状態をいかに作れるか?というのが僕は重要かなと思っています。そのわがままが、価値として「あ、それいいね」となるのがアーティストとしては極みだし、それが付加価値を持てばより良い、というのはありますね。建築をやっている理由もそうなんですけど、生きた痕跡を残したいんですよ。“歴史に名を刻みたい”に近いんですけど、建物もそうで、自分が死ぬまでの間にどのぐらいつくれて、しかもその建物が自分の死んだ後も存続し続けるか。アートも同じだと思うんですけど、生きている間にそれをどれだけできるか?というところかな、と。

『THREE COLORS EXHIBITION』後の展望、TAKUMIさんの理想の未来像をお聞かせいただけますか?

個展ではなく3人展なので、“3人だからこそ”面白いことができた、というのを純粋に楽しみたいです。今回のために、TERUさんがアーティスト写真を「こういう感じで撮ってみようよ」と言い出してくださって。たぶん、僕とSHURIちゃんが個人個人でやっていたらあそこまでのヴィジュアル撮影はできないですし、僕、今回初めて化粧をしたんですよ。普段は化粧なんてしないから違和感でしかなくて(笑)。本当にいろいろと貴重な経験をさせていただいているな、というところで感謝しかないですね。

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